偉くなると、つい「会社から必要とされている人間だ」と思ってしまいます。
それは会社だけ。
一歩外に出ればただの人。会社の中でも外でも謙虚でいいたいものです。
【目次】
管理職になった途端、威張る人
管理職になるのは、確かにアセスメントなど、クリアしないといけないことも多く、努力している人も多いです。
管理職になりたい人は、「偉くなりたい」「認められたい」「給料が上がる」「社内で影響力持つ」など、それぞれの思いがあります。
「肩書」があるから、人として素晴らしい人間なのでしょうか。
人としてどうなのかと考えた場合、少なくとも私の周りには尊敬できる人はごくわずか。
肩書に酔ってる人は、知らず知らずに言動に表れてきます。
部下を見下し、人事権と、人事評価という言葉を多用し、自尊心を満足させます。
自分が評価されることや、自分の評判や悪口などには異常なくらいに敏感になるんです。
私の上司もそう。
そんな人は定年退職しても、偉かった当時の名刺を持ち歩いて、ことあるごとに「昔はこんなところで働いていまして・・」と自慢するパターンです。
その場面に遭遇すると、ほんと痛々しいです。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
よく聞く言葉です。
偉くなれば偉くなるほど、地位も名誉もお金も手に入ります。
そうなると、「必要とされている人間だ」と思ってしまい、知らず知らずのうちに謙虚さを失ってしまうのではないでしょうか。
「昔はあんな人ではなかった」「偉くなって性格が変わった」という話をよく聞きます。
人はポストで性格も変わってしまうこともありますが、逆に言えば、ポストが人を変えてしまっているのかもしれません。
自分に自信が持てることはいいことです。
ただ、それが間違った方向に進んでしまうこともあるんじゃないでしょうか。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉は、自分が損をしないために、「謙虚に振る舞いなさい」「横柄にならないように気をつけて」ということだと思います。
特に若い方は、これから活躍され、さらに出世していくと思いますが、たまにはこの言葉を思い出して、「謙虚な心」を忘れないようにしてもらいたいですね。